ゴギというあだなは僕が勝手に彼、香川明に付けたものだった。ロング・ヘアーにいつもバンダナで鉢巻をしていて、見かけはひと昔まえのインテリが社会からドロップ・アウトした風って感じだが、顔のまとまりと浅黒さが僕が子供の頃遊んだ河に生息していたイワナ科の魚、ゴギによく似ていたものだから、いつからか勝手にそう呼ぶようになってしまった。ただゴギはまだ本物のゴギを知らなくて、もし知ってしまったら「いかつくて逞しい感じだろう。」とでも言ってごまかそうとつねづね思っていた。
僕がこのゴギと初めて会ったのはロンドンにいた頃、毎週出入りしていた行きつけのコイン・ランドリーでだった。
ロンドンにいた頃、僕はアールスコートという地区に住んでいた。
アールスコートは俗にチューブと呼ばれる地下鉄のピカデリー・ラインが通っていて、アールスコート駅周辺にはホテル・アパートメントが何軒かあって、長期滞在をする外国人が週単位で部屋を借りて多く住んでいた。
ここからだとロンドンの中心のピカデリー・サーカスまで直通で近いし、次のグロウチェスター・ロード駅でサークル・ラインにも乗り換えられ、さらにサウス・ケンジングトン、ヴィクトリア駅、リージェント・パーク、ちょっと頑張ればシティーまで歩いて行ける場所だった。
僕はゴギとアールスコート駅の近くの行きつけの韓国人が経営するコインランドリーで知り会った。
海外に居て街中で日本人を見かけると、果たして気軽に声を掛けていいものか迷うことがしょっちゅうある。海外に出ているのだからあまり日本人とは接したくないと思っている人。おれはあなた達一時滞在者とは違って長期で滞在してるのだから無視してほしいと思っている人。はたまた海外に居るうちは日本語は一切使いたくないので声を掛けないでと思っている人。等々。同胞であることは雰囲気で分かっていてもなかなか声を掛けられないケースがままあるからだ。
僕は行きつけのコインランドリーでそれまで何度かゴギを見かけてはいた。だけどそういった理由で僕の方からは声を掛けないでいたが、ある時よほど暇だったのかゴギの方から声を掛けてきた。
「日本人、・・・ですよねェ。」店の隅で洗濯が終わるまでの時間を持て余していた僕に、ゴギは例の人懐っこい笑い顔で話しかけてきた。
「そうだよ。たまに見かけるねェ、おたく。やっぱこの近くに住んでんだ。」
僕が住んでいたホテル・アパートメントはアールスコート駅とグロウチェスター駅のちょうど中間にあり、ゴギが住んでいた同じようなホテル・アパートメントはそれよりも少しばかりアールスコート駅に近いほうにあった。
「もうロンドンは長いんですか?」そう訪ねながらゴギは手に持っていたチョコバーを半分折って差し出したが、そいつがちょとチョコが溶け出していていたので僕は手で制した。
ゴギはすでにロンドンに来て1年近く経っていた。日本で美容師の資格を取り何年か勤めていたらしいが飽き足らず、日本人の美容師の人気がイギリスで良いという話を人づてに聞き、勢いでここまで来たらしかった。
僕もそれまでそういう話は何回か聞いた事があったが、実際は何のコネクションもなく飛び込んでもなかなか仕事は得られないという話の方が多かった。
ゴギの場合もやはり同じで、当初は誰も話すら聞いてくれなかったようだ。ただゴギがラッキーだったのは、失望して帰国を考え始めた頃に出会ったスコットランドから出て来ていた女の子に出会えたことだった。
ホーランド・パークにあるパブで隣り合わせた彼女は、ゴギがあまりにも落ち込んでいる様子なので声をかけてくれたそうだ。
「僕が今ここにいるのもフレアのおかげです。偶然にも彼女のおばさんがロンドンで美容院を開いていて、紹介してもらって運良く使ってもらえるようになったんです。フレアがいなかったらどうなっていたことか。今頃日本でクソ親父に憎まれ口叩かれてくさってたでしょうね。」
ゴギがフレアを紹介してくれた時、ゴギはフレアの手をギュっと握ってそう言った。
ゴギとフレアは知り合って数ヶ月してゴギのホテル・アパートメントで一緒に暮らすような仲になた。フレアも実は職探しにロンドンに来ていたのだが、なかなか良い仕事は見つからず、その結果ゴギは幸運にも青い目の天使まで手に入れたのだった。
「ひとつ聞いていいか?なんでこんな青い目のかわいい子がおまえなんかと住んでるんだ。」フレアに日本語が分からないのをいいことに、紹介された後で僕は真顔でゴギに尋ねたことがあった。
僕はロンドンで1年ばかり暮らしたが、ゴギはその間中仲の良い友達だった。歳がひとつしか離れていなかったのと、ゴギが人に大変気を使う性格で、僕としては付き合うのに非常に気が楽だったこと。それから僕はリージェント・パークで週末になるとアメリカ大使館の連中とソフトボールをしていたが、ゴギも元高校球児でよく付き合ってくれていた。少なくても僕よりはうまくて、いつも日本の野球を知らない大使館の連中やイギリス人の鼻を明かしてくれたので、僕としては気分が良かった。
あの頃は僕もゴギも不法就労をしている立場だったので、お互いの心細い心境が理解しあえたことも仲が良かった理由でも勿論あった。
僕がロンドンを去る前日、ゴギとフレアは3人で行きつけのソーホーの中華街にある御馴染みの食堂に招待してくれた。
レイチェスター・スクエアーの映画館の裏側にあったそのチャイニーズの食堂に僕達は3人でよく食事にでかけた。レストランと呼ぶにはあまりにもパッとしてなくて、内装も装飾品もくすんでいたし、ウエイトレスのチャイニーズの女の子の愛想の悪さは一級品で、おまけに厨房が地下にあるのだが、僕自身厨房を覗いてしまったら出てくるものが果たして喉を通るか不安に思えた位の店だった。
だけどメニューの多さ、味は最高だった。日本でいう中華飯はとびっきりで毎週食べていた気がする。
ゴギは僕との別れがもの凄く残念そうだった。というのもこの2人はすでに結婚を考えていて、近いうちにスコットランドのフレアの両親に会いに行く事になっていたからだ。
結婚すればゴギは永住権が取れて晴れて大ぴらに働く事ができ、少なくても今よりも実力にあったいい条件、良い仕事にありつくチャンスが生まれる。そして何よりも和歌山の父親に少しは大きな顔ができるからだった。もともとゴギは和歌山の造り酒屋の息子で、両親は兄と一緒に家業を継いで欲しかったようだがゴギは反発した。本人曰く、一生縁の下の力持ちで終わりたくなかったから違う道を選んだそうだ。だからロンドンで成功することは彼のプライドを守る意味でも、意地でもあった。
「ショウさん。もう1年居ようよ。もう1年居てくれたら僕はほんとに嬉しいな。」これから海外でたった一人で乗り越えなければならない壁は、国際結婚を含めて沢山ある。これといって仲の良い同国人の友達のいないゴギの不安そうな気持ちはよくわかった。
ところがそれから半年して僕がやっとアメリカで落ち着いた生活をロス・エンジェルスで始めた頃、ひょっこりゴギが訪ねて来た。
インターホンの受話器を取った僕の耳元に「ハーイ、ゴギです。ショウさん、はるばるロンドンから訪ねてまいりました。」いつにも増して甲高い声が飛び込んできた時にはさすがに驚いた。
その頃の僕はというと、サンタモニカに近い、ちょうどサンタモニカ・フリーウェーとサンディエゴ・フリーウェーの交差するあたりに住んでいて、新聞のシェアーメイト募集という広告で見つけたコンドミニアムで、日系人のミスター・ハヤカヲという人のところに間借りして暮らしていた。
ゴギはずうずうしくも突然そこに転がり込んで来たのだった。
ゴギが来て最初の一週間は僕は彼になにも聞かなかった。ゴギの無理に明るく勤めようとする感じから、ロンドンでなにかあったことは容易に感じられたからだ。
だけどそのことについては、僕がゴギを気晴らしに近くのレドンド・ビーチの桟橋に連れ出した時に、ゴギ自身が話を切り出してきた。
「ショウさん。俺達ってなんなんでしょうね?俺は日本人でしがない美容師で、これといって他には取り得も財産も何もないですよ。だけどそれだけで人の価値ってきまるもんなんですかね。日本人って、日本人に限らず他の有色人種にしても、何がこいつら白人と違うんでしょうね。」
そう言って目の前を行き過ぎる白人男性をゴギはアゴでしゃくった。
「俺は日本でずっと生きてきて、自分がそんな特別な存在だなんて思ったことも感じたこともなかった。周りは皆黒い目と黒い髪の俺らと同じ連中ばかりですからね。それに俺はすくなくても白人に対しては差別感もなければ勿論憧れもなかった。彼らにとって自分という有色人種が特別かけ離れた人間に見られてるってことなんか考えたこともなかった。
アメリカの有色人種への差別なんて他人事だった。南アフリカのアパルトヘイトなんて次元の違う世界で起きてることで想像すらしたことがなかった。観光者ヅラしてれば皆親切で、愛想良くしてくれるもんだから海外に出たての頃はめちゃくちゃ楽しかった。だのになんなんだこいつらの世界は。」
ゴギはそういって頭を抱えた。
僕達普通の有色人種が観光者ではなく定住者として白人社会に身をおくと、よほどのノーテンキで鈍感な性格でわからない人間か、あるいはチョーお金持ちでなければ一度は差別と言う歓迎を受けた経験者は多いはずだ。
レストランで露骨にオーダーを取りにこないという態度を見せられたり、街角ですれ違いざま蔑んだ呼び方をされたりして暗い気持ちに僕自身何度もなった。罵声が他のアジアンやチャイニーズと明らかに間違われたとわかっても、決して気分のいいものではない。
ゴギがスコットランドのフレアの両親を訪ねた時、何がそこであったのかを僕はあえて聞かなかった。ゴギのフレアに対する気持ち云々を言えば、そんなことで腰を折ってしまったゴギを非難するべきだったかもしれないが、それよりもその時ゴギが受けていた外国人に対する不信感、海外で初めて現実に受けた失望的なカルチャーショックのダメージの方が明らかに大きかったのがわかったから、僕は何も聞けなかった。
そうしてゴギは再び僕の友達としてロス・エンジェルスに居座ることになった。
ミスター・ハヤカワは急に飛び込んできた余分なフラット・メイトに最初の頃は戸惑っていたようだが、ゴギが本来の性格を表に出すようになると「あいつはグッドな性格だ。」といってほめるようになった。たぶんその一番の理由はゴギのそうじ好きで、部屋という部屋を毎日そうじするのだから喜ばれないはずはない。
そして仕事の方はすぐに見つかった。ロスのような日系人社会が大きなところだと手に技術を持った人間は入り込みやすいようで、おまけにそれまでロンドンで働いていたとちょっと口を滑らせればあとは簡単だったようだ。ロスに来て2週間もしない内にゴギは一人で仕事を取ってきた。
海外での僕とゴギとの付き合いは結局僕がアメリカを去るまでの間だから3年以上にも及んだ。ロンドンの片隅のコインランドリーから始まった付き合いがここまで長くなるとは思いもよらなかった。
僕がアメリカを出た後、ゴギがアメリカでどうしていたかはまったくわからなかった。僕はアメリカから南米に行き、南米からヨーロッパ、その後東南アジア、中国と歩いて、日本に帰国するまで1年近い時間を費やしたが、その間ゴギとの連絡はまったくなかった。
だけど6年ぶりに日本に帰国してミスター・ハヤカワに無事帰国したという旨のハガキを出したのだけど、これがまずかった。
ハガキをだして3ヵ月後、僕は日曜日の早朝から例のけたたましいゴギのドアたたく声で目を覚まされるはめになってしまった。
「最近ショウさん暇があると釣りにばかり行ってるって聞いてたけど、実はこんなとこに入り込んでこんなばあちゃん相手に遊んでたんだ。」ゴギはニタニタしながら僕にウインクした。
「なにを寝ぼけたこといってるんだろうねェ、この子は。誰がこんな暇人相手に遊ぶもんか。まァ、たまァに声は掛けてやってるが、この兄ちゃんはいつもあそこの穴を覗きにきてるのさ。」そう言って滝さんはすぐそこの塀に開いた穴をアゴでしゃくった。
僕はそれからゴギにこれまでのことを話して聞かせた。そして不思議そうな顔をしてこちらを見て立っていた重さんを見つけた僕は重さんを呼び、ゴギのことを紹介した。重さんは終始照れっぱなしだったが、ゴギがあまりにも愛想がいいものだから安心したのか興味がなくなったのかすぐにいなくなった。
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